SOMETHING IS MISSING







「ユウは逃げてるだけさぁ。」
突然遊びに来たラビに、最近考えたことを話してみると、こんなことを言われた。


神田の恋人は名前をアレンといった。本当に付き合っていたのかと聞かれたのならば自信はない。なぜならば神田は一度もアレンのことを愛しているといったことがないからだ。そのことを以前リナリーに話したところ、いつか見捨てられるわよ。と言われたことを最近よく思い出す。あいしているともすきだとも神田は言わなかった。彼の性格がそれを許さなかったこともあるし、アレンも神田もそういった言葉を必要としない気がどこかでしていたのだ。口を開けば暴言ばかり、時には手を出すこともあった。(そういう場合は、剣道に携わっている神田はもちろん、筆よりも重いものを持ったことがないんです、とよく嘯いて神田に買い物の荷物を持たせていたアレンもなかなかの力を持っていたのでお互いひどい目に会うことがしばしばあった。子供の喧嘩のようだといったのもリナリーだったか。) 神田はお茶を沸かしていたことを、ヤカンが音を立てて沸騰を告げたことで思い出した。急いで机から立ち上がり火を止めにいく。そしてインスタントコーヒーを取り出して、なぜ自分はコーヒーの用意をしたのだろうとはたと我に返る。神田は茶を好んで飲むが、コーヒーはあまり飲まない。『顔に似合って』と笑ったのはラビだった。神田はじっとインスタントコーヒーのビンを見つめた。コーヒーを飲んだのは、そうだ、アレンだ。ここずっと置きっぱなしにされたまま手をつけられていなかったので、蓋の上にうっすらと埃がかぶっている。神田はかぶりを振ってコーヒーを棚に戻した。−捨てるのには忍びない。ラビやリナリーが気まぐれにここに来た時にでも飲んでいくだろう。そこにアレンの面影を探しているなど、嘘だ。神田は強く目をつぶった。眉間に皴が寄ったのが良くわかる。耳元で声がした。
『そんなに眉間を寄せてばかりいると、皴が取れなくなりますよ。』
笑いを含めて、悪戯気にアレンはよくそう言った。ふと本当に彼がダイニングの机に座り、コーヒーを待っているような気がして振り返る。当然そこに誰もいないことは分かっていたが、軽い絶望が神田の体を蝕んだ。諦めたように茶葉を取り出す。音をたてて開いた缶からは、お茶のいい香りがした。急須に入れ、お茶を注いで待った後に湯飲みに注ぐ。緑がかかった優しい色の湯のみだ。どこで買ったんだっけと思い裏をみて、はと気がついた。そこに掘ってある名前は、間違いなくアレンの名だったからだ。そうだ。これはアレンが作ったものだった。急に陶芸にも興味を持ったと言い出して、大学の、もう誰もいない陶芸室の一角で久々の生徒に(たとえ違う科の生徒だとしても)嬉しそうな教師に習い、必死に作っていたのを覚えている。彼は手先が器用だから間違いなく成功すると思っていたが、その通り美しいこの湯飲みを作り出して、そして神田に押し付けた。
『これからはこの湯飲み意外でお茶を飲んだらダメですよ。』
自分の手で作り出されたものに満足したのか、そして飽きたのだろう、アレンがその後あの部屋に行くことはなかったが。なぜ忘れていたのだろうか。最近やけに物忘れが激しい。特に、彼のことに関しては。神田はお茶の緑をじっと見つめた。亡くなった人への記憶は、その人と共になくなってしまうのだろうか。そして虚ろ気に壁に目を移した神田は、自分がもうひとつ忘れていることに気がついた。壁にかかっていた絵がないのだ。アレンが描いた絵だった。性格に似合った、掴み所のない彼の絵で、失敗作だから捨てると言っていたものを譲り受けたのだ。捨てるにはあまりにも綺麗だ、と始めてアレンの絵を美しいと思った絵だった。深い海の絵で、それと分かる(彼はいつも花を茶色で、空を緑で描いた。それは草原にも見えたし、枯れた山にも見える。)多彩な青色を使っていた。青色だけで書かれた絵だった。あの絵には大切なものがしまわれていたはずなのに。神田はそれすらも思い出せず、今度こそ深い絶望と共にその日は眠った。
その夜だった。
急に電話がかかってきた。相手はウォーカー氏が、と言った。知らない男の声で、アレンが亡くなったことを神田は知る。身元がなかなか分からずに、連絡が遅れたらしい。神田に連絡が入ったのは、もう日にちが変わっている後だった。寝起きのどこか飛んでしまいそうな気分で、嘘ごとを利いているような気になっていったが、男が病院の名を言った時点でその気分は一気に現実に引き戻される。すぐ行くというようなことを述べた気がするが、その時なんという言葉を交わしたのかは、今となっては思い出せない。
アレンは白い肌をいっそう白くして、静かに瞳を閉じていた。息をするのも憚るような空気の中で、彼は眠っているようだった。もしもその時、誰かがこれは嘘なのだと言っていたとしたら、間違いなく神田はその言葉を信じただろう。胸の下辺りで重ねられた手のひらにそっと指で触れると、ひどく冷たかった。その時神田は不意に涙が零れ落ちたことを知った。ひとつ、ふたつ、零れ落ちたものがアレンの手を濡らしていく。我慢するようにきつく結ばれていた唇が不意に緩む。
「好きだ。」
どこにも届かないままの言葉を、零すように神田は囁いた。
「お前のことが、好きだ。」
涙と共に落ちていった言葉に、アレンがそっと微笑んだ気がした。


朝、目を覚ますとどこか頭がぼんやりとしていた。寝たりないのかと思えば、昨日最後に時計を確認してから、その長い針はおそらく10周はしているだろう。寝すぎてぼんやりしているのだ。と体と起こして、何か夢を見ていた気がしたのだけれども、と頭の中を手探りしてみたが、神田はまた忘れてしまっていた。ぼぅっと昨日飲んでいた湯飲みを片付けていると、ラビが遊びに来た。相変わらずしまりのない笑い顔を貼り付けて、ユーウーと名前を呼ぶのでその名を呼ぶんじゃねぇ!と隣に届くような声で怒鳴ってしまう。まったく、また苦情が来るかもしれない。いや、それよりもなんだか疲れているのに余計な体力を使ってしまった。
「どうしたん?元気ないさ。」
けれどラビが珍しくも気を使うようなそぶりを見せたので、神田はなんでもない。といった後に、最近よく物を忘れる、特にあいつの。と無意識のうちに呟いてしまっていた。ラビはその言葉を聴かなかった振りをする理由もなく、じっと神田を見つめた後に、少しさみしそうに言った。
「ユウは逃げてるだけさぁ。」
否定を許さない強い何かがそこにはあった。
「ほんとうに、アレンのことが好きだったんだな。」
その瞳の奥の揺らぎを見た時に、今日がアレンの月命日だということを、神田は思い出したのだ。











STAR DUSTのハチさまに、1000hit企画でリクエストさせて頂いたもの。
死というものをとてもキレイに話の中に織り込んだ小説だと思いました。
とてもすっきりと、そしてさらりとしている感じ。
ああ、こんな風な神アレもあるのだなぁと、しみじみとしました。
そんな素敵なハチさまに精一杯の感謝を。ありがとうございました…!




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